【拡大解釈という無限抱擁】なぜ、日本人の多くは自分で判断することを嫌うのか《岩田健太郎教授・感染症から命を守る講義㉞》
命を守る講義㉞「新型コロナウイルスの真実」
■病気の後を追っかけてはダメだ
2009年に流行した新型インフルエンザでは、メキシコで発生したウイルスがカナダとアメリカ合衆国に拡がりましたが、その当時、日本の厚労省の診断基準には「メキシコ、カナダ、アメリカ合衆国から帰国した、38度5分以上の熱が云々」みたいなことが書いてありました。
さて、神戸市の開業医の先生が、旅行歴が全くない神戸高校の高校生に5月にインフルエンザが流行っているのを見つけて「おかしいな」と思い、保健所に調べるように頼みました。
保健所のほうは「これ、厚労省の診断基準を満たしてないですよ」って言ったんですが、その先生が諦めずに衛生研究所で調べてもらったら、これがビンゴ。やっぱり2009年の新型インフルエンザで、なんとこれが初めて国内で見つかった発生例でした。
今回も、厚労省は最初、「武漢への渡航歴がないと新型コロナと認めない」と言ってたのが、「国内でもやっぱりあるよね」「クルーズと関係ない感染もあるよね」とどんどん拡大解釈していった。基準から外れる人が実際にいて、見つけることができたから拡大解釈が始まるわけで、診断基準にがっちり寄り添ってる限りは新しい診断はできないんです。
ということは、これからも厚労省が立てる診断基準から外れるけれど、やっぱりコロナでした、という人が出てくる可能性があるわけですよ。
もちろん、コロナだとしてもあえて見逃す手だってあります。感染が疑われても元気なうちは「家で寝ててください」と判断してもいい。でも、厚労省がダイヤモンド・プリンセスでやったように、「あなたは診断基準によるとコロナじゃないから、自由に会社へ行ったり遊んだりしていいですよ」と言ったら、間違った判断になる。
イタリアがそうだったように、間違った判断のせいで1人の感染者から20人、30人と感染が拡がり、収集がつかなくなってからPCRが陽性になる、ということにもなってしまう。これでは「病気の後を追いかける」ことになってしまいます。
我々感染症のプロは「病気の後を追っかけてはダメだ」を鉄則にしています。我々は常に、病気の前にいないといけない。先手を打って、「こういうふうに拡がってくるだろうな」という予測をして、前もって病気の拡大をピシッと止める。これが感染症予防の鉄則です。
病気がワッと拡がってから、「病気はどこいった、病気はどこだ」って追っかけるのは、下手くそな医者がやることです。
我々は常に、病気の前にいないといけない。「ここにコロナの感染が何例ぐらい起きてるかもしれない」ということを、常に予測していないといけない。厚労省の基準を満たすか満たさないかをただチェックすることは、予測とはいいません。
日本の場合に大事になるのは、この予測をちゃんとやってるかどうかで、これはおそらく、全国全ての場所できちんとできているとは限りません。
日本では昔から、上からのファックスに従う習性が続いていて、「お上のお達しには服従」という奴隷根性が染み付いてる。そして逆に、いざというときは「私は厚労省の言うことを聞きましたよ」と言ってお上に責任を丸投げする無責任体質も備わっている。だから、判断ができない。
とはいえ、最近はそうでもなくなりましたけどね。例えば、安倍首相が「学校を休みましょう」と言ったときにも、休まない自治体が出てきたりしました。2009年の新型インフルエンザのときはどこの地域も上意下達でしたけど、今は「うちはこういう方針でいきます」と言い出す地域もだんだん出てきています。
それでも旧態依然とした保健所も多く、「厚労省の基準を満たしてない」と言って検査を断るケースが相次いでいますから、日本ではこれが大きな不満のもとになっていますよね。
「PCRをどんどんやれ」ではないし、あるいは「意味がないからやるな」でもない。「この人はコロナに感染しているリスクが十分にある」、あるいは「ここでアウトブレイクの可能性を見逃したらやばい」。そういった判断を、保健所あるいは医療機関がその場その場でしっかりできていて、必要な人には必要な検査ができていて、アウトブレイクの可能性を見逃していないか。それをやった上で、自分たちの方針を正しく話し続けるリスクコミュニケーションが大切なんです。
(「新型コロナウイルスの真実㉟」へつづく)
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